こんばんは。伊藤恵です。
いつもありがとうございます。
9月15日の今日は中秋の名月でしたね。
満月が好きなのに毎月見逃してしまうので、今日は絶対見なくちゃと、夕方の5時半ころから夜ご飯の準備をしつつ、今か今かと待っていました^^
出た!と思って外に行き、うっすら雲がかかって光がにじんでいましたが、月の影までよく見えて、しばらく眺めていました。
スマホで撮ってみたりもしましたが、肉眼で見るようには撮れないですね^^;残念。
中秋の名月について、由来や行事を調べてみましたのでいくつかご紹介しますね。
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・「中秋の名月」と「仲秋の名月」の違い
どちらも「ちゅうしゅうのめいげつ」と読みますが、意味の違いはあるのでしょうか。
まず「ちゅうしゅう」とは旧暦の秋の真ん中の時期をさします。
昔は、旧暦7・8・9月を「秋」としていました。(現在の8・9・10月頃)
そして、7月を孟秋、8月を仲秋、9月を季秋と呼んでいました。 (孟は「はじめ」、季は「末」のこと)なので、「仲秋」とは「旧暦8月」のことになります。
一方で、「中秋」書くと、秋の丁度真ん中の日「旧暦8月15日」だけをさします。
一般的に「ちゅうしゅうのめいげつ」は、旧暦8月15日に見える月のことですから、漢字では「中秋の名月」と書くのが正しいのです。
つまり、「旧暦8月15日の月は中秋の月」で、「旧暦8月の複数の月を仲秋の月」というわけです。中秋の名月は仲秋の月の中の1つです。
・お月見の由来
仲秋にお月見をするのは、夏の作物の収穫もほとんど終わって、稲刈りをするまでの手のあく時期に、稲の豊作を祈る祭りを行ったことが始まりとされていますが、実際には正確な起源はわかっていません。
また、中国からの渡来説も有力です。
中国では古くから「望月」(月を見る催し)という行事があり、それが平安時代に遣唐使によって伝えられたものが日本で広がったとする説です。
「お月見」についての日本で最初の記録は、延喜9年(909年)に醍醐天皇が初めて月見の宴を開いたとの記録だそうです。
しばらくは高級貴族達だけの風習でしたが、江戸時代になると一般庶民にも広まり、ポピュラーな行事となりました。
・お月見は2度おこなう?
旧暦8月の十五夜から約一ヶ月後の、旧暦9月13日を,「後の月」とか「十三夜」といい、もう一度お月見をする習慣があり、まだ残っているところもあります。
十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものとされていました。十五夜だけでは、「片月見」といって忌まれていたのです。これは日本独自の風習です。
しかし、ヨーロッパでは、秋分の日に一番近い満月を「収穫月」と呼び、その次に巡ってくる満月を「狩猟月」と呼び祝う風習があるそうです。日本と共通する習慣が中国にはなくてヨーロッパにあるというのが、単純に中国渡来説を裏付けなくておもしろいですね。
・余談(珍しい名字)
名字が「八月十五日」と書いてなんと読むでしょう?
「八月十五日」と書いて「なかあき」と読む名字の方がいらっしゃいます。
八月十五日=なかあき=中秋のことで昔から八月十五日の月を「中秋の名月」(なかあきのめいげつ)と呼んできました。 後の世に「ちゅうしゅう」と読むようになったのでしょうね。
出典:『「中秋の名月」と「お月見」についてのうんちく』RICOH Communication Club
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名月にちなんで、松尾芭蕉の俳句を一筆箋に書きました。
「 名月や 池をめぐりて 夜もすがら 」
ー空には名月があり、池にも月影がうつっている。その美しさに心を奪われて、池のまわりを歩きながらながめているうちに、つい一夜を過ごしてしまった。ー
昔の電気などなかった時代は、月の光がいっそうきれいに見えたでしょうね。
私の家周辺は山が近くて街灯も少なく、新月の夜は真っ暗闇になります。
小さい頃、夜は真っ暗なものだと思っていましたが、ある日の満月の夜に外に出てみると、周りの田んぼも道もはっきり見えるので、夜がこんなに明るいものかとびっくりしたことがあります。
夜を照らす満月はすごいなと思うようになりました。
昼間の明るさとは違って静かで神秘的な明るさなのが雰囲気があって好きです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた(^^)/~~~
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